コラム
2019.05.29
1 「1番だけが知っている」
4月29日にTBS系列「1番だけが知っている」というテレビ番組で、ハンセン病国家賠償訴訟が取り上げられました。弁護団の一員だった私も、ほんの脇役ですが出演したこともあって、多くの方から感想やご意見をいただきました。せっかくの機会でもありますので、ハンセン病国家賠償訴訟についてご紹介させていただきます。
2 ハンセン病とは
ハンセン病はかつて「らい病」と言われていました。「らい菌」という細菌の感染によって末梢神経を冒される病気です。しかし、らい菌は,感染力も発症力も弱く、1943年には特効薬が開発され、容易に治る病気になりました。
3 ハンセン病隔離政策
ハンセン病に関しては、1907年に「癩予防ニ関スル件」という法律が制定され、1953年には「らい予防法」と名称を変えました。そして、1996年3月に廃止されるまで、らい予防法に基づく患者隔離が国の政策として行われてきました。具体的には、国が地方自治体に指示して患者を捜し、見つけると強制的に隔離施設に収容し、終生そこに隔離するのです。
その目的は、広く国民に伝染することを防止するためでもなく、患者を治療するためでもありません。ハンセン病患者の存在を国の恥として、患者を社会から見えないようにしてしまうことを目的としているのです。赤痢や結核の患者隔離とは全く異なります。
4 隔離された療養所ではこんなことが行われていた。
療養所では、患者に対する様々な人権侵害がありました。今、旧優生保護法のもとでの強制不妊手術被害者の救済法が話題になっていますが、療養所では正に、患者に対する断種・堕胎が日常的に行われていました。また、患者に労働を強制し、そのため、多くの患者が病状を悪化させました。国民も患者狩りに動員され(無らい県運動)、社会の中にハンセン病に対する根強い差別と偏見が生まれました。
つまり、ハンセン病隔離政策は、①患者に「有害・無益な人間」という烙印を押し、②家族を含めた厳しい偏見差別にさらして地域で孤立させ、③家族や社会との絆を奪い、④治療も放棄し、強制的に労働させ、人体実験の道具にする、など信じがたいような人権侵害が国の手で行われていたのです。
5 ハンセン病国家賠償訴訟
(1) 訴訟の目的
らい予防法は1996年に廃止され、それによってハンセン病隔離政策には終止符が打たれましたが、同時に、こうした人権侵害の実態も闇に葬られようとしていました。それを打ち破り、被害の回復や再発防止のための恒久的な政策の策定を実現することを目的として、1998年7月、ハンセン病隔離政策の責任を問う国家賠償訴訟が熊本地裁に提起されました。
(2) 熊本地方裁判所の判決(2001年5月11日)
判決は、原告全面勝訴・国完敗の内容でした。裁判所は以下のように判断しました。
①らい予防法に基づくハンセン病隔離政策は、遅くとも、1960年には憲法違反の人権侵害であった
②1965年までに「らい予防法」を廃止しなかった国会の怠慢は憲法違反であった
(3) 控訴断念
国はこの判決に控訴しませんでした。冒頭ご紹介した「1番だけが知っている」はその時の弁護団の取り組みを紹介した番組です。
法律を憲法違反と断じた判決が1審で確定したという例はそれまでもありませんでしたし、その後もありません。そうした異例中の異例の事態に至ったのは、何と言っても被害者であるハンセン病元患者に、「何とかこの判決を守りたい。そのためには何でもやる。」という強い要求と決意があったからです。それを受けて、私たち弁護団もあらゆる取り組みをしました。当時の坂口厚生大臣を味方に引きこんだり、官邸前に毎日押しかけて飯島秘書官に迫ったり、一方で当時の小泉総理に直接のパイプを作ったりしました。そして、官邸筋もマスコミも「控訴必至」と流している中で、小泉総理の控訴断念の判断を引き出したのです。
6 その後の取り組み
控訴断念後も、被害者と弁護団の被害救済・再発防止に向けた取組みは続いています。2016年には家族被害の補償を求める訴訟が提起され、6月28日に判決が言い渡されます。是非注目してください。これを契機に、皆さんにハンセン病問題への関心を深めていただければ幸いです。
弁護士 安原 幸彦
2018.12.20
平成30年12月16日、気鋭の憲法学者青井未帆先生、SEALDsの中心的メンバーであった諏訪原健さん、「憲法君」のネタで有名な風刺芸人の松元ヒロ氏が、城南の地に結集しました。五反田法律事務所、東京南部法律事務所、城南保健生活協同組合、東京南部生活協同組合、東京民主医療機関連合会西南ブロックの5団体が主催の、憲法こそたからものpart2が開催されたのです。
わたくし菊地がこの豪華なイベントに潜入してきましたので、みなさまにこっそりご報告致します。
青井先生のお話で最初に印象的だったのは、誰に何を語りかけるかということです。
青井先生によれば、選挙の際の選挙民の関心事について統計を取ると、選挙民が強い関心を持っているのは経済や景気、福祉の問題で、憲法の問題への関心は最下位となるそうです。
そうであれば、憲法を守る勢力を選挙で当選させるためには、敢えて憲法のことには触れず、経済や景気、福祉の対策を語ってもらうことも必要になるのかもしれません。
また、若年層になるほど安倍政権を支持し、特に女性より男性の方が安倍政権を支持する比率が高いそうです。
どうやら私たち護憲派は、まだまだ若者の心に触れることができていないようです。どうしたら私たち護憲派の言葉が若者の心に届くのか、よくよく考えなければならないようですね(なお、某法律事務所の菊地とかいう弁護士が若者の現状と若年層へのリーチの手法について盛んに研究しているそうなので、講師に呼んでみるとそのへんよくわかるかもしれません)。
次に、9条の問題では、自衛隊を憲法に書き込むことの意味というお話が強く印象に残りました。
青井先生によれば、現在憲法に明記されている国の機関は5つしかありません。即ち、参議院、衆議院、内閣、最高裁判所、そして会計検査院です。会計検査員以外は、立法・行政・司法の三権を統率する機関です。会計検査院は行政の機関ですが、会計検査院法第1条で「内閣に対し独立の地位を有する。」と書かれており、独自の地位を有するため、特に憲法に記載されているそうです。
このように、基本的に三権を統率する機関しか書かれていない憲法に自衛隊を記載するとどうなるか。自衛隊が三権と並ぶような独自の地位を得たという解釈がなされ、自衛隊に行政の枠組みを超えるような特権が与えられることになるのではないか。これが、青井先生の問題意識です。
ただでさえ完結性・自律性が高く独自の指揮系統で動ける武装集団です。ただでさえ防衛予算は年々拡大されています。そのような状況で自衛隊に三権と並ぶような独自の地位が与えられたと解釈がなされれば、自衛隊は三権による統治の外に君臨する「もう一つの国家」なってしまうというのです。
「自衛隊を憲法に明記しても何の影響も出ない」なんて大ウソ、真実っておそろしいですね。
諏訪原健さんのお話で最も印象に残ったのは、選挙で勝たなければ安倍政権を倒すことはできない、という言葉です。
諏訪原さんはいうまでもなく、路上の運動をリードしラップ調のコールアンドレスポンスという新しいコールを作り出したSEAIDsの中心メンバーであり、いわば「ストリートのカリスマ」です。そんな諏訪原さんの口から、街頭での市民運動よりも選挙で勝つことが大事だ、という趣旨の言葉が出たので、びっくりしてしまいました。
しかし、お話をよくよく聞いてみると、深く納得しました。
すなわち、安倍政権は国民の声に真摯に耳を傾けず、街頭の声を無視する。それどころか、街頭に立つ市民の声をあざ笑うように、沖縄の海に赤土を流し込む。そんな安倍政権を倒すには、選挙で勝つしかない、ということでした。
誰よりも多く街頭に立って誰よりも大きく声を上げてきた諏訪原さんだからこその、冬は凍え夏は汗まみれになって見いだした、最前線の現場からのご見識というべきでしょう。そうであれば私たち護憲派も、やみくもに街頭で運動をするのではなく、選挙に勝つための戦略を持って勝てる闘いを展開しなければなりません。
諏訪原さんのさりげない一言は、護憲派にとって重要な課題を投げかけたものだと、私は解釈しました。
みなさんは、どう感じましたか?
最後に、松元ヒロさんの舞台について。
突飛なことを申し上げますが、どうかお許しください。
舞台には、舞台の神様がいます。
厳しい訓練に耐えた特別な人だけが、舞台の神様に微笑みかけてもらうことができます。そして、舞台の神様に微笑みかけられ祝福された人だけが、スポットライトの下で、全然別の存在になることができます。「演ずる」というのはそういうことです。私も昔、緞帳の陰を横切る舞台の神様のドレスの裾を一瞬だけ目にしたことがあるので、そのことを知っています。
ヒロさんのネタ「憲法くん」を演じているとき、ヒロさんはヒロさんではありません。私たちが目にしているのは、ヒロさんではなく、「憲法くん」その人なのです。
日本で生まれ、アメリカの血が少しだけ入っていて、戦後70年間、日本を見守ってきてくれた「憲法くん」。悲しい事件も沢山あったけど、一生懸命未来というものを信じて生きてきた、この国の戦後史に寄り添ってきた「憲法くん」。「最近、みっともないだとか変えるべきだって言われちゃうんですよ」と寂しそうに呟いているのは、ヒロさんではなく、性は日本国、名前は憲法、の憲法くんなのです。
八王子や山口のお話で笑った後、最後の10分間、「憲法くん」を見ている間中、私は涙が止まりませんでした。憲法くん、戦後日本をずっと見守ってきてくれてありがとう。きみからもらった沢山の幸福に、すごく感謝しているよ。きみのことを守るために、精一杯動いてみるよ。そんな気持ちでした。
いささか情緒的な文章でごめんなさい。
しかし、ヒロさんの舞台から私たちは、理屈だけではなく人の気持ちに働きかければ思いが伝わる、そういうことを学ぶことが出来たのではないでしょうか。
以上、潜入レポートでした。
自分の事務所で企画しておいて「潜入」も何もないだろ、というツッコミは受け付けません。
みなさま、今後とも南部事務所をよろしくお願い申しあげます。
弁護士 菊地 智史
2017.06.19
当事務所の黒澤有紀子弁護士と安原幸彦弁護士が担当した事件で勝訴判決を獲得しました。判決は、判例時報2328号129頁、労働判例1152号13頁に掲載されています。
1 事案の概要
被告である尚美学園は、その専任教員の定年を就業規則上、満65歳としていました。そのうえで、定年退職した専任教員を特別専任教員として雇用する旨の規程及び長年の例外なき再雇用の前例もありました。特別専任教員の契約期間は1年間であり、契約更新は70歳を限度とされています。原告である労働者は、専任教員として採用されましたが、採用の申込みを行う前に、被告から、65歳を超えると70歳まで総報酬が従前の7割になるものの、職務内容等の労働条件は変わらず、70歳まで雇用保障がされているとの説明を受けました。原告は、この説明内容にメリットを感じ、それが確実に履行されるものと信じて、被告に転職することを決意し、前職に退職願を提出しました。
しかし、被告は、原告が65歳で定年となった後、採用前の説明及び原告の希望にもかかわらず、所属する学部で初めてのケースとして、特別専任教員として再雇用することを拒否しました。原告は、特別専任教員としての労働契約上の権利を有する地位にあることの確認を求めるなどして、東京地方裁判所に訴えました。なお、原告は、労働組合の副執行委員長です。再雇用拒否に当たり、労働組合への協議はありませんでした。
2 事件で問題となった点
この事件は、65歳定年制を採用する使用者において、定年後再雇用制度を定め、採用前に再雇用する旨の説明が行われ、かつ、就業規則の運用として従前は希望した全員が例外なく再雇用されていた場合、定年退職した労働者に再雇用後の地位が認められるかが争われました。この事件で難しいのは、定年によって一旦退職しているとされることです。つまり、再雇用は、形式的に見ると新たな雇用であり、使用者の裁量権の範囲内と位置づけられかねません。定年後再雇用の事案においては、有名な津田電気計器事件(最判平成24年11月29日労判1064号13頁)がありますが、これは60歳定年の事件であり、高年法9条1項2号所定の継続雇用制度を導入した事案だったことが大きな特徴でした。今回の事件は、65歳定年制を採用している使用者(大学)における再雇用ということで高年法は適用外の事件です。そういった場合に、労働者(教員)に再雇用後の地位を確認できるのかが争われた事件でした。
3 65歳定年制で再雇用拒否を無効とする画期的判決
東京地裁は、以上の争点について、以下のように判示しました。
「労働者において、定年時、定年後も再雇用契約を新たに締結することで雇用が継続されるものと期待することについて合理的な理由があると認められる場合、使用者において再雇用基準を満たしていないものとして再雇用をすることなく定年により労働者の雇用が終了したものとすることは、他にこれをやむを得ないものとみるべき特段の事情がない限り、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められず、この場合、使用者と労働者との間に、定年後も就業規則等に定めのある再雇用規程に基づき再雇用されたものと同様の雇用関係が存続してきるものとみるのが相当である(労契法19条2号類推適用、最高裁平成23年(受)第1107号同24年11月29日第1小法廷判決・裁判集民事242号51頁参照)。」本件事実関係の下においては、「定年時、本件再雇用契約を締結し、70歳まで雇用が継続すると期待することが合理的である。」「確かに、本件は、高年齢者雇用安定法の適用のない事案ではあるが、労働者に雇用継続への合理的期待が生じた場合、その期待を法的に保護し、期間満了による契約の終了に制約を課すという労契法19条2号の趣旨は、本件のような定年後再雇用においても妥当するといえる。ただし、定年後再雇用の場合、直近の有期労働契約が存在しないため、従前と同一の労働条件で労働契約が更新されると擬制することができない。したがって、同条を類推適用し、本件規程が定める再雇用制度に基づく労働契約上の地位にあるものとみなすのが相当である」。
東京地裁は、原告の主張を認め、労働契約法19条2号の類推適用という新たな法律構成を採り、原告の特別専任教員としての地位を認めたのです。65歳定年制を前提とする再雇用事案において、再雇用後の地位を認めた判決であり、高齢者雇用について非常に重要な判決と言えます。
2017.06.15
6月14日から夜通し審議が続いた参議院本会議で、15日午前7時46分、政府与党の自民党・公明党そしてその補完勢力である日本維新の会3党は、共謀罪の趣旨を含む改正組織犯罪処罰法の採決を強行した。これにより反対世論を押し切って、「共謀罪」法が成立した。
共謀罪法案は、法案提出前後を通じ衆参両院で議論されながら、担当法務大臣はろくな答弁ができず、法案の疑問点、問題点はなんら解決することはなかった。対象犯罪となる277の罪についてなぜ共謀を取り締まるのか、その必要性すら明確にならなかった。一番注目された、一般人はこの法律による取締の対象になるのか、という点でも政府の答弁は、イエスなのかノーなのか判然とせず終わった。処罰要件の準備行為も日常的な行為がそのまま準備行為とされる余地があり、要件としての無意味であることが明らかとなった。まだまだ国会で審議を尽くすべきことは多々あった。しかし政府は国民の徹底審議を求める声に背を向けて、採決を強行した。そのことだけでも許されない。
しかし今回はそれだけでなく、国会法を濫用して、所管の法務委員会での採決を省略し、本会議で委員長に中間報告させるだけでの強行採決であったことは特に重大である。この国会法の規定は、「特に緊急を要する」あるいは「特に必要」な場合の規程で、共謀罪はこれに当たらない。委員会での採決を省略するなど、これは議会制民主主義の否定であり、良識の府、熟議の府と言われる参議院にあっては存在意義を自己否定するにも等しい暴挙である。
私たちは政府与党の一連の行動に強く強く抗議するものである。
国会が会期末を控え、審議の時間が足りないのであれば、会期を延長すればよい。都議選が控えているとはいえ、国政選挙でない以上会期延長の妨げとはならない。しかし会期を延長しなかったのは、安倍首相に対する加計学園問題のこれ以上の責任追及を避けるためであったことは明白である。共謀罪法案の早期成立と安倍首相責任逃れと二重の狙いがあった強行採決であった。
私たちはこうした党利党略で議会制民主主義のルールを破る政府与党及びその補完勢力の暴挙はいっそう許すことはできない。
私たちは引き続き共謀罪の廃止を求めて奮闘する決意である。同時に今後予想される安倍内閣の憲法9条改悪の動きに対しても、断固として闘う決意である。
以上声明する。
2017年6月15日
東京南部法律事務所
2017.05.26
共謀罪法案の衆議院本会議強行採決に断固抗議し、改めて共謀罪法案の廃案を勝ち取る決意の声明
5月23日、政府与党の自民党・公明党そしてその補完勢力である日本維新の会3党は、共謀罪法案を衆議院本会議で強行採決した。私たちはこの暴挙に断固抗議し、参議院での徹底審議を求め、改めてこの法案の廃案を勝ち取るために全力を尽くすことを決意し、この声明を発表する。
共謀罪法案は、今国会で法案提出前からその問題性が論議されてきた。法案提出前後を通じて、担当法務大臣はろくな答弁ができず、法案提出前には答弁を拒否するペーパーを出し、法案提出後は野党の反対を押し切って国会質疑に官僚を出席させ答弁させるなど醜態をさらしてきた。このような国会質疑では、この法案の疑問点、問題点はなんら解決することなく、いっそう廃案とする外ないことが明らかとなってきた。
朝日新聞の世論調査(5月)でも、法案の内容について「あまり知らない」・「全く知らない」が63%に達し、今国会での成立は「必要ない」が同様に64%となっている。これは国民の間に十分な理解がされていない、政府が説明責任を果たしていないことを示している。
政府はテロ対策・国際組織犯罪防止条約締結のためというが、同条約はテロ対策と無関係であること、現行法で取締ができない事例の説明に矛盾があること、処罰対象がまだ犯罪に至らない人の内心であって憲法の思想良心の自由保障(19条)に違反する恐れがあること、処罰条件となる準備行為が日常生活上の行為と区別がつかないこと、一般市民が取締まりの対象となって広くその日常生活が監視の対象となっていくこと、などが明らかになった。
このようにこの法案は、日常的に市民が集い、語り合い、行動する計画を練ることを敵視し、これを監視・介入・処罰しようとするものであり、結果的に人々を萎縮させ、自由にものを言えない社会、監視社会へと導いていくことになる。民主主義を根幹から破壊する悪法である。徹底審議に背を向けた、今回の衆議院本会議強行採決に断固抗議する。
政府はこの法律が2020年オリンピック・パラリンピックのために必要といってきた。5月3日、安倍首相は、その2020年までに憲法9条に3項を加える改憲を実現する意欲を公表し、その後9条「改悪案」を年内に練り上げるよう自民党に指示した。共謀罪法案の審議の最中の安倍首相の行動は、実は共謀罪が戦争する国づくりと一体となっていることを示している。
私たちは、このような共謀罪に断固反対し、今後も同法案の廃案を勝ち取る決意である。
以上声明する。
2017年5月26日
東京南部法律事務所
2017.04.10
トランプ政権のシリア巡航ミサイル攻撃
トランプ政権は、6日、シリアの空軍基地に巡航ミサイル59発を打ち込んだ。それに先立つ4日、シリア・アサド政権が、内戦でサリンなど化学兵器を使用する空爆を行った、と伝えられた。こども30人、女性20人以上を含む一般市民が多数死亡した。国連安全保障理事会(安保理)はこれを調査・非難・制裁しようとしたが、アサド政権を擁護するロシアにはばまれた。トランプ政権はそこに反発し、安保理決議もないまま、勝手な判断でシリアを攻撃したというわけだ。
化学兵器を使用する無差別攻撃は絶対に許されない。しかしトランプ政権の対応も許されない。国際法上他国に武力を行使できるのは、自衛の場合か、安保理決議があった場合に限られる。トランプ政権のシリア攻撃の翌7日、安保理が緊急会合を開き、シリア問題を議論したのも当然だ。そもそも化学兵器を使用したのがアサド政権であるのかも確定していない。仮にそうだったとしても空軍基地への攻撃と言うが、近隣地域でこども4人を含む民間人9人が死亡したと伝えられている。規模の大小はあっても、罪もない民間人を巻き込んでの戦闘行為であることに変わりはない。化学兵器の無差別攻撃が非難されるように、トランプ政権も非難されなければならない。
しかし、安倍首相は「化学兵器の拡散と使用は絶対に許さないという米国政府の決意を日本政府は支持する」「今回の米国の行動は、これ以上の事態の深刻化を防ぐための措置と理解している」との見解を表明した。国際法にも違反し、民間人をも巻き込んだ戦闘行為を支持し理解するというのだ。アサド政権(未確認)の空爆、トランプ政権の巡航ミサイル使用は、まさに憎しみの連鎖である。ここで肉親を殺害された民間人の中に、アサド政権やトランプ政権を憎み、ISの戦士に参加していく者があったらそれも憎しみの連鎖だ。軍事的な報復は憎しみの連鎖をあおるだけだ。憎しみの連鎖を断ちきらなければ、この世に戦争はなくならない。軍事的な報復(解決)はめざさない、これが憲法9条の心だ。憲法9条の国、日本の首相にあるまじき安倍首相のこの態度。トランプ政権を支持し理解するという安倍首相の発言が、トランプ政権への憎しみを日本に呼び込むことだってあるだろう。安倍首相はその危険性を考えているのか。
北朝鮮への対応
北朝鮮は5日、弾道ミサイル発射を行ったが、この件でトランプ大統領と安倍首相は、6日、電話会談を行った。その際、トランプ氏は「全ての選択肢がテーブルの上にある」と述べたという。当然そこには、対北朝鮮軍事行動という選択肢が含まれていた。このトランプ氏の発言に安倍首相は「高く評価したい」と応じた。
憲法9条は、国際紛争を軍事的に解決しようとすることを固く禁じている。これもまた憲法9条をもつ日本の首相にあるまじき首相の態度だ。加えて、北朝鮮には、在日米軍基地を攻撃する任務を持つ部隊があることが、先般おおやけになった。アメリカと北朝鮮が戦闘状態に入れば、本来無関係な日本が、米軍に基地を提供しているという理由で、北朝鮮から攻撃されることがあからさまになったのだ。日本の安全を守るため、アメリカと北朝鮮が戦闘状態になることは絶対的に回避しなければならない。そのために日本政府は最大限の努力をすべきだ。
トランプ政権の北朝鮮に対する軍事行動の示唆を「高く評価したい」といった安倍首相は、真逆の立場だ。安倍政治は日本の安全保障にも真っ向から反する。日本は六カ国協議、日朝平壌宣言など、北朝鮮と対話する外交努力を進めてきた。安倍首相の発言は、これまでの日本政府の外交努力とも矛盾する。拉致被害者の救出にも背を向けることになる。
これら安倍首相の態度を見ると、彼が憲法9条の改憲を目指す立場がよく理解できる。こんな安倍首相は直ちに退陣してもらいたいものだ。
弁護士 佐藤誠一
2017.03.10
固定残業代の有効性が否定され、長時間労働について使用者の安全配慮義務違反が認められた判決(東京地裁平成28年5月30日判決判例タイムス1430号201頁)
東京地裁にて固定残業代と安全配慮義務違反の判断について重要な判決を獲得しましたので、ご紹介します(判例タイムス1430号に掲載されています。)。
1 36協定のない事業場で固定残業代の有効性を否定
昨今、固定残業代が問題となっています。固定残業代とは、時間外労働や深夜労働・休日労働の割増賃金の支払いに代えて、一定額の手当を支払ったり、基本給に割増賃金を組み込んで支給するものです。これが残業代の支払いとして認められれば、残業代計算の基礎賃金の計算から固定残業代が除かれ、また固定残業代分の残業代支払いが認められてしまうことになります(固定残業代については、拙文「固定残業代をめぐる幾つかの問題点」POSSE26号所収を読んで見てください。)。また、割増賃金の支払いが別途認められないことにより長時間労働の抑制が効かず、長時間労働を強いられる傾向にもあります。
この固定残業代の有効性については、裁判例(*)が積み重なってきているところですが、私の担当した事件では、36協定が締結されていなかったことが問題となりました。この点について、裁判所は「本件で36協定が存在しない以上、少なくとも本件契約のうち1日8時間以上の労働時間を定めた契約部分は無効であるところ、いわゆる固定残業代の定めは、契約上、時間外労働させることができることを前提とする定めであるから、当該前提を欠くときは、その効力は認められないはずである」として、固定残業代の有効性を否定しました。36協定が締結されていないと、そもそも固定残業代は有効ではない、と判断したのです。36協定とは、使用者が労働者を法定時間外労働させるために締結しなければいけないものです。その協定がない以上、時間外労働を前提とする固定残業代の合意は認められない、という判断です。36協定を締結しないまま長時間労働を強いている事業場は未だ多くあり、固定残業代の有効性を否定することによって、一定の歯止めをかけたと言えます。
*固定残業代の有効性について、裁判例は、①「割増賃金」にあたる部分と「通常の労働時間の賃金」にあたる部分が明確に区分されていること、②割増賃金の対価という趣旨で支払われていること、②固定残業代超過分の清算合意があるか、清算の実態があること、という3つの要件を求める傾向にあります。
2 病気にならなくても長時間労働による慰謝料を認める
この事件は、毎月80時間以上を超える残業が裁判所で認定されました。月80時間越えの時間外労働はいわゆる過労死基準を超えるもので危険です。原告は、この点について安全配慮義務違反に基づいて慰謝料を請求しました。ただ、原告は長時間労働を強いられたものの、病気にはなっておらず、この点で損害が認められるのかが問題となりました。
裁判所は、「会社は、36協定を締結することもなく、原告を時間外労働に従事させた上、…会社においてタイムカードの打刻時刻から窺われる原告の労働状況について注意を払い、事実関係を調査し、改善指導を行うなどの措置を講じたことを認めるに足りる証拠はない。したがって、会社には安全配慮義務違反の事実が認められる。…結果的に原告が具体的な疾患を発症するに至らなったとしても、会社は安全配慮義務を怠り、1年余にわたり、原告を心身の不調をきたす危険があるような長時間労働に従事させたのであるから、原告には慰謝料相当額の損害が認められるべきである」。と判断しました。精神疾患等の症状が認定されない場合でも慰謝料を認めたのです。これまで長時間労働を強いられながらも、病気に罹患していない限り、損害賠償請求は認められない傾向になりましたが、この判決はこの点でも画期的なものであり、是非参照してもらいたいと思います。
弁護士 竹村和也
2016.08.31
8月4、5日、広島に「仕事」で行ってきました。小学4年生になった息子に、原爆ドームや記念資料館を見せて、戦争や平和について考えるきっかけになれば、、、と思って、息子連れで行きました。
「仕事」の間退屈していた息子は、「仕事」が終わり、ホテルに荷物を置いて外に出ると、まるで水を得た魚のように生き生きとして、とても楽しそうに、禎子さんの像を見て、原爆ドームも見て、広い平和公園をスキップして歩き、、、、資料館の前まできました。
そして、そこで、思ってもみない強烈な一言が息子から出たのです。
「ここ、入るの、いーやーだーーー」
「ここまで来てそれはないでしょう」と思って、必死に説得を試みる私。
しかし、誰に似たのか(いえいえ、彼のオリジナルなのでしょう)、すごい頑固で、考えを変えない息子。
「やーだー、こわい」、「夢に出る。こわい」、「知らなくていいしー」考えつく説得をすべて試みたけれど、譲らない息子。あと5歩で資料館の入り口という場所で、延々と5分間議論となったのでした。
この日は夕方5時でも、まだ、うだるように暑くて、汗が止まらない。もう万策尽きてどうしようもなくなって、つい、「暑いよ。もう、限界。あのドアの向こうにはクーラーがあるよ。とにかく入ろうよ」。
すると、息子、気が抜けるほどあっさりと、「そーだね」と、すたすたと入っていくではありませんか。そんなこんなで入った記念資料館ですが、息子が、食い入るように真剣
に展示を見ていたという小説のような展開には、もちろんならず。資料館内でも、「こーわーいー。早くでーたーいー」「キノコ雲とか書いてあるけど、キノコの形に見えないしー」とぶつぶつ言う息子。
なんだか思っていたのとは全く違った資料館見学でした。
子どもは私とは違う、子どもは子どもで独立した人格なんだと当たり前のことを改めて思うとともに、息子は息子なりに自分の気持ちや心を守ろうと必死なんだな、そういうところを大切にしてあげなきゃな、と思いました。
その一方で、やっぱり過去に日本であった戦争のことはきちんと知って平和について考えて欲しいなと思ったのでした。
後日、この話をSNSにあげると、ママ友のみなさんからは様々な反響がありました。
子どもにきちんと資料館を見せたいという人、子どもが見ることができるまで待ちたいという人、いろいろな人がいました。どの意見にもなるほどと思って、とても考えさせられました。
子どもが何を怖いと思い、どういう理由でそれを乗り越えて見れるのかは、その子によって違うのだろうと思います。だから、子どもに戦争や平和を、いつ、どう伝えるかについても、正解はないのだろうと思います。
私も含めて戦争を知らない子どもが多くなっていく今、戦後71年日本の土台となってきた日本国憲法を変えようとする意見が出ている今、創意工夫をして、被害の歴史も加害の歴史もすべて戦争の歴史を語り継いでいくことの必要性を強く感じたヒロシマの夏でした。
弁護士 長尾 詩子
2016.08.25
リオオリンピックが閉幕しました。17日間の世界のトップアスリートの熱い闘いに感動の時間を過ごさせてもらいました。オリンピックが始まる前までは、2020年の東京オリンピック招致に関する様々な問題(国立競技場の問題やら、予算の問題やら。)に、「東京オリンピックなんていっそのこと返上したら。」「リオオリンピックなんか興味ないや。」などというネガティブな気持ちがむくむくとわき上がっていましたが、いざオリンピックが開幕すると、どんな競技でもスポーツそれ自体が持つ本質的なおもしろさ、想像を絶する鍛錬とそれを遂行する人間の精神力、人間の可能性の限界に挑むアスリートたちの姿にすっかり心を掴まれてしまいました。
そうした中でも、私が注目したのは男子卓球です。何を隠そう、私は中学生時代、卓球部に所属していました。運動神経も鈍く、市内の中学校の大会では1回戦負けを続けるさえない選手でした。それに、中学校を卒業後は全く卓球から離れてしまったので、今は素人同然ではあります。このため、中学生時代の競技感覚に照らして見るしかないのですが、それでも世界水準の選手の実力は想像を絶するほどです。特にラリーの連続、前陣からの速攻、これに瞬時に対応する運動神経、後陣から高速ドライブを狭い卓球台の、しかも相手方のサイドに返球するラケット裁き、空間把握能力は、「すごい」、「人間離れしている」の一言です。日本男子卓球代表の水谷隼選手は、卓球の「ネクラ」「ダサイ」というイメージを変えて、卓球をメインストリームのスポーツにしたい、という希望を語っていましたが、彼自身の今回の活躍(男子単で銅メダル、団体で銀メダル)は、少年少女には卓球をやってみたい、大人にはもっと卓球を観戦したい、応援したい、という気持ちを起こさせたのではないでしょうか。
ということで、東京オリンピックですが、「マリオ」に扮して人気取りをしようなどと考える政治家の宣伝の舞台ではなく、アスリートファースト、そして、一都民として気持ちよく応援できるオリンピックになるよう4年後を期待していきたいと思います。
弁護士 堀 浩介
2016.08.18
8/2~8/4、6名の部員プラスゲスト1名で、南八ヶ岳に行ってきました。初日、桜平(1900m)から夏沢峠(2440m)を目指しました。夏沢峠からは北へ箕冠山(みかぶりやま)・根石岳(2603m)・天狗岳(2640m)と縦走し、本沢温泉(2110m)で一泊。2日目は南八の核心部、硫黄岳(2760m)・横岳(2829m)・赤岳(2899m)を縦走し、赤岳鉱泉(2220m)で一泊。3日目は中山展望台から前日の縦走路を眺め、美濃戸口まで下山し(1490m)帰路につきました。登っては降り登っては降りの連続、山部としては本格的な山旅となりました。
八ヶ岳は変化に富んだ魅力あふれる連峰です。岩峰の連なりを美しい森が包みます。森は美しい苔がびっしりと絨緞のように敷き詰められた中、シラビソ、ダケカンバなどがうっそうとしかし静かにたたずむ、八ヶ岳特有の森です。私は随所で桂(かつら)を思わせるほのかな甘い香りを味わいました。心が和むすばらしい森でした。
核心部の縦走路は、鎖場が連続する岩峰地帯をスリリングなルートをたどりました。そのスリリングさにわくわくする部員もいれば、足がすくむ部員もいました。縦走の間、うっすら雨模様で周囲の景観を見ることができませんでしたが、かえって高度感を感じずに済んで(知らぬが花?!)よかったかもしれません。赤岳山頂にたどり着いたときには、この上ない達成感をものにすることができました。その赤岳の下り、直滑降を思わせる鎖場のルートも、スキップを踏むような気分であっという間に通過していました。
きついルートでしたが、高山植物が目を楽しませてくれました。森の中ではユーモラスなホタルブクロの赤紫が目につきました。高所ではチシマギキョウのすがすがしい紫、可憐なコマクサの薄いピンクが鎖場の緊張感を和ませてくれました。コマクサは大変な数が咲き乱れ、地元の方々の保護へのご苦労がしのばれました。本沢温泉への沢沿いの土手では、銀竜草のめずらしいほどの群落と出会いました。
初日、オーレン小屋でランチをとろうとしたときにはカモシカがお出迎え。3日目、美濃戸口への下山時には、黒地に白い縁取りの羽根を持つキベリタテハ蝶(初めて見ました)が見送ってくれました。
山小屋デビューの部員もいるため、2泊とも、風呂付き、食事も評判の宿を予定しました。本沢温泉は2種の源泉があります。内湯はカーキ色、野天風呂は白濁。どちらも気分最高の温泉でした。加えて野天は、渓流沿に木を組んで湯船にした開放感抜群の湯で、硫黄岳の荒々しい火口壁を眺めらの入浴になります。これに入るだけでもここに来る価値はある。また行きたい。赤岳鉱泉では夕食にステーキが出ました。大いに食べ、飲みました。 天気にはけっして恵まれたとはいえませんが、すばらしい自然とふれあい、わくわくする変化に富んだ山歩きを堪能することができました。温泉もよかった、飯もよかった、仲間はもっとよかった!充実した夏合宿でした。
弁護士佐藤誠一