今年のヒロシマの夏

8月4、5日、広島に「仕事」で行ってきました。小学4年生になった息子に、原爆ドームや記念資料館を見せて、戦争や平和について考えるきっかけになれば、、、と思って、息子連れで行きました。
「仕事」の間退屈していた息子は、「仕事」が終わり、ホテルに荷物を置いて外に出ると、まるで水を得た魚のように生き生きとして、とても楽しそうに、禎子さんの像を見て、原爆ドームも見て、広い平和公園をスキップして歩き、、、、資料館の前まできました。
そして、そこで、思ってもみない強烈な一言が息子から出たのです。
「ここ、入るの、いーやーだーーー」
「ここまで来てそれはないでしょう」と思って、必死に説得を試みる私。
しかし、誰に似たのか(いえいえ、彼のオリジナルなのでしょう)、すごい頑固で、考えを変えない息子。
「やーだー、こわい」、「夢に出る。こわい」、「知らなくていいしー」考えつく説得をすべて試みたけれど、譲らない息子。あと5歩で資料館の入り口という場所で、延々と5分間議論となったのでした。
この日は夕方5時でも、まだ、うだるように暑くて、汗が止まらない。もう万策尽きてどうしようもなくなって、つい、「暑いよ。もう、限界。あのドアの向こうにはクーラーがあるよ。とにかく入ろうよ」。
すると、息子、気が抜けるほどあっさりと、「そーだね」と、すたすたと入っていくではありませんか。そんなこんなで入った記念資料館ですが、息子が、食い入るように真剣
に展示を見ていたという小説のような展開には、もちろんならず。資料館内でも、「こーわーいー。早くでーたーいー」「キノコ雲とか書いてあるけど、キノコの形に見えないしー」とぶつぶつ言う息子。
なんだか思っていたのとは全く違った資料館見学でした。
子どもは私とは違う、子どもは子どもで独立した人格なんだと当たり前のことを改めて思うとともに、息子は息子なりに自分の気持ちや心を守ろうと必死なんだな、そういうところを大切にしてあげなきゃな、と思いました。
その一方で、やっぱり過去に日本であった戦争のことはきちんと知って平和について考えて欲しいなと思ったのでした。
後日、この話をSNSにあげると、ママ友のみなさんからは様々な反響がありました。
子どもにきちんと資料館を見せたいという人、子どもが見ることができるまで待ちたいという人、いろいろな人がいました。どの意見にもなるほどと思って、とても考えさせられました。
子どもが何を怖いと思い、どういう理由でそれを乗り越えて見れるのかは、その子によって違うのだろうと思います。だから、子どもに戦争や平和を、いつ、どう伝えるかについても、正解はないのだろうと思います。
私も含めて戦争を知らない子どもが多くなっていく今、戦後71年日本の土台となってきた日本国憲法を変えようとする意見が出ている今、創意工夫をして、被害の歴史も加害の歴史もすべて戦争の歴史を語り継いでいくことの必要性を強く感じたヒロシマの夏でした。

弁護士 長尾 詩子

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