弁護士 塚原英治
8時間労働制という、今では建前としては当たり前になっている(日本では未だに完全には実現していませんが)ことも、19世紀には革命的な要求でした。
1886年5月1日、アメリカの労働者は8時間労働制を要求して全米で19万人が一斉にストライキに入り、34万人が平和的なデモ行進をしました。8時間を認めた企業もいくつもでましたが、労働者の革命が起こるのではないかと恐怖に駆られた経営者や州政府もありました。運動の中心であったシカゴでは5月4日、前日の警察による労働者への襲撃に抗議する労働者がヘイマーケット広場に集まったところ、警官隊が労働者を攻撃し、何者か(スパイだと考えられている)が警官隊に爆弾を投げ、警官隊がライフル銃を乱射する事態となり、多数の死傷者を出す事件がおこりました。首謀者とみなされた労働者4名が死刑に処せられました(裁判については国際的な救援活動が起こりました。後にえん罪と判明し、終身刑に処せられていた労働者は釈放されました)。西欧諸国の社会主義政党・労働組合活動家の国際組織である第二インターナショナルは1889年の創立に際し、このアメリカの労働者の闘いを記念することとし、5月1日をメーデーとして労働者の統一行動日としたのです。8時間労働制が世界的に確立するのは、ロシア革命を経て、1919年のILO第1号条約においてです。
フランスでは、元老院(上院)が1919年に8時間労働制を認め、5月1日を休日とすることにしました。1947年には有休の休日とすることが決まりました。フランスでは、この日の法定労働は禁止されており、そのため公共交通機関も止まりますし、多くの店舗も閉まります。労働組合のパレードが行われる他は、みな家で家族や友人と過ごす日になっているといいます。
* ヘイマーケット事件については、ボイヤー=モレース『アメリカ労働運動の歴史Ⅰ』(岩波書店、1958年)153-187頁に拠っています。
フランスの話は、在日フランス大使館のホームページなどに拠っています。