「清見弁護士を偲ぶ」

清見栄弁護士が5月3日に心不全で永眠しました。71歳でした。
清見弁護士は、中央大学法学部を卒業後、1976年に弁護士になり、東京南部法律事務所で45年間活動しました。全国金属労働組合(現在はJMITU)大田地域支部を中心とする多くの地域の労働事件に関与したほか、総評弁護団(現在の日本労働弁護団)の総括事務局として、労働組合の職場活動の調査を主導しました。清見弁護士が主任となり、能力不足を理由とする解雇に厳しい枠をはめて勝利したセガ・エンタープライゼス事件は、代表的な先例として、労働法を学ぶ学生が触れる事件になっています。
また、大田借地借家人組合の顧問として、大田の借地人、借家人のために数多くの裁判を担当して成果をあげました。
趣味の世界では、音楽鑑賞(クラシック)、読書(歴史と経済)、釣などに加えて、中学の頃から真空管ラジオを自作する機械マニアで、パソコンも自作していました。事務所でワープロやパソコンを導入したのは、他の事務所よりかなり早く1982年頃ですが、清見弁護士が中心になっていました。
2019年末にインフルエンザに罹患した後、間質性肺炎などで通院していましたが、この4月まで事務所に出て仕事をしていました。コロナが収束した後に、皆様と共に偲ぶ機会が設けられればと思っています。清見さんゆっくりお休みください。
塚原英治