ハンセン病国家賠償訴訟

1 「1番だけが知っている」
 4月29日にTBS系列「1番だけが知っている」というテレビ番組で、ハンセン病国家賠償訴訟が取り上げられました。弁護団の一員だった私も、ほんの脇役ですが出演したこともあって、多くの方から感想やご意見をいただきました。せっかくの機会でもありますので、ハンセン病国家賠償訴訟についてご紹介させていただきます。
2 ハンセン病とは
 ハンセン病はかつて「らい病」と言われていました。「らい菌」という細菌の感染によって末梢神経を冒される病気です。しかし、らい菌は,感染力も発症力も弱く、1943年には特効薬が開発され、容易に治る病気になりました。
3 ハンセン病隔離政策
 ハンセン病に関しては、1907年に「癩予防ニ関スル件」という法律が制定され、1953年には「らい予防法」と名称を変えました。そして、1996年3月に廃止されるまで、らい予防法に基づく患者隔離が国の政策として行われてきました。具体的には、国が地方自治体に指示して患者を捜し、見つけると強制的に隔離施設に収容し、終生そこに隔離するのです。
 その目的は、広く国民に伝染することを防止するためでもなく、患者を治療するためでもありません。ハンセン病患者の存在を国の恥として、患者を社会から見えないようにしてしまうことを目的としているのです。赤痢や結核の患者隔離とは全く異なります。
4 隔離された療養所ではこんなことが行われていた。
 療養所では、患者に対する様々な人権侵害がありました。今、旧優生保護法のもとでの強制不妊手術被害者の救済法が話題になっていますが、療養所では正に、患者に対する断種・堕胎が日常的に行われていました。また、患者に労働を強制し、そのため、多くの患者が病状を悪化させました。国民も患者狩りに動員され(無らい県運動)、社会の中にハンセン病に対する根強い差別と偏見が生まれました。
 つまり、ハンセン病隔離政策は、①患者に「有害・無益な人間」という烙印を押し、②家族を含めた厳しい偏見差別にさらして地域で孤立させ、③家族や社会との絆を奪い、④治療も放棄し、強制的に労働させ、人体実験の道具にする、など信じがたいような人権侵害が国の手で行われていたのです。
5 ハンセン病国家賠償訴訟
 (1) 訴訟の目的
 らい予防法は1996年に廃止され、それによってハンセン病隔離政策には終止符が打たれましたが、同時に、こうした人権侵害の実態も闇に葬られようとしていました。それを打ち破り、被害の回復や再発防止のための恒久的な政策の策定を実現することを目的として、1998年7月、ハンセン病隔離政策の責任を問う国家賠償訴訟が熊本地裁に提起されました。
 (2) 熊本地方裁判所の判決(2001年5月11日)
 判決は、原告全面勝訴・国完敗の内容でした。裁判所は以下のように判断しました。
①らい予防法に基づくハンセン病隔離政策は、遅くとも、1960年には憲法違反の人権侵害であった
②1965年までに「らい予防法」を廃止しなかった国会の怠慢は憲法違反であった
 (3) 控訴断念
 国はこの判決に控訴しませんでした。冒頭ご紹介した「1番だけが知っている」はその時の弁護団の取り組みを紹介した番組です。
 法律を憲法違反と断じた判決が1審で確定したという例はそれまでもありませんでしたし、その後もありません。そうした異例中の異例の事態に至ったのは、何と言っても被害者であるハンセン病元患者に、「何とかこの判決を守りたい。そのためには何でもやる。」という強い要求と決意があったからです。それを受けて、私たち弁護団もあらゆる取り組みをしました。当時の坂口厚生大臣を味方に引きこんだり、官邸前に毎日押しかけて飯島秘書官に迫ったり、一方で当時の小泉総理に直接のパイプを作ったりしました。そして、官邸筋もマスコミも「控訴必至」と流している中で、小泉総理の控訴断念の判断を引き出したのです。
6 その後の取り組み
 控訴断念後も、被害者と弁護団の被害救済・再発防止に向けた取組みは続いています。2016年には家族被害の補償を求める訴訟が提起され、6月28日に判決が言い渡されます。是非注目してください。これを契機に、皆さんにハンセン病問題への関心を深めていただければ幸いです。
弁護士 安原 幸彦