日本航空乗員勝利・勤務基準不利益変更裁判 | |
弁護士 船 尾 徹 | |
多くの乗客と乗員の生命を一瞬のうちに奪い、愛する家族の平和な生活を悲劇の底に沈めてしまった「御巣鷹山事故」。この大事故を「負の遺産」として安全運航を追求することを誓って20年。その日本航空に「相次ぐトラブル!」といった活字が新聞紙上をにぎわせ、会社関係者の謝罪会見がテレビで頻繁に放映される。安全運航を願う利用者の誰もが、「日本航空になにが?」と不安をつのらせ、そして「JR西日本」の大惨事が日本航空にも起こらなければ…と危惧している。 しかし、何故か、安全運航に最も深く関係するパイロットの「働かされ方」を決定する「勤務基準」に、どれほどの「セーフティ・マージン(安全の余裕度)」が確保されているのかといった問題となると、マスコミは、あたかも「自主規制」をしているかのごとく沈黙し、報道することはまずない。 航空機の高速ジェット化とその運航を支える航空システムの急速な進歩と発達は、航空界に昼夜の別なく24時間稼動する体制を日常化する。そのためパイロットの乗務は24時間のどこからでも始まり、昼夜の時間帯や季節が逆転するほど不規則で過酷な労働を要求される。ところが、夜間には低調となり、昼間は活発になる「体内時計」は20世紀初頭のライト兄弟時代となにも変わっていない。そのため日付変更線をまたぐ大きな時差帯を超えて巡航する長距離運航乗務によってパイロットは疲労し、「体内時計」の乱れなどにより不可避的にパフォーマンスが低下する。それを引き金にして生じるミス、エラーが航空機事故という大惨事へとしばしば連鎖していく。これらを切断する合理的な勤務基準の確立が、「絶対安全」を使命とする航空会社に求められている。 ところが、93年11月、日本航空は乗員組合の反対を無視し、交替乗員なしでの長距離運航で、乗務時間の上限を9時間から11時間に緩和する就業規則に改定してしまった。その結果、欧米主要航空各社が安全運航のために労使合意のうえ確立している勤務基準よりも大幅に切り下げ、乗務時間11時間にもおよぶ名古屋ーロスアンゼルスなどの太平洋路線を、交替乗員なしで乗務する世界に類をみない危険な運航が行われるようになった。大きな時差帯を越えるこの長距離運航路線の乗務は名古屋を夜、離陸し、日付変更線を越え、日本時間の午前3時頃(パイロットの体内時計は夜中)であるにもかかわらず、太平洋上で夜が明け、ロスアンゼルスには現地時間の昼頃(パイロットの体内時計では明け方)に到着する「徹夜乗務」となる。そのような人間の生理に反する交替乗員なしの長時間運航は、抗しがたい「睡魔」、「目が覚めている」と思っていても無意識のうちに居眠り!を引き起こしかねない。こうして眠らないまでも判断力、注意力、反応時間などの人間としての生理的諸力のすべてが劣化した状態での乗務を、パイロットに余儀なくさせ、安全運航確保の観点から深刻な状況をもたらした。 そこで、日本航空で働くほぼ900名のパイロットたちは、乗客・利用者に安心して安全運航のためのサービスを提供することのできる公正な勤務基準のもとで乗務したい、そして、疲労等によるパフォーマンスの低下に起因する自らのミス、エラーを訴訟という場で明らかにする「決断」をして、改定された勤務基準の無効を求める裁判に立ち上がった。 判決は、「安全性を損なわない」というだけの「合理的根拠を見出し難い」「セーフティ・マージン(安全の余裕度)が確保されていることの証明はない」とする第1陣訴訟の東京地裁判決(99年11月25日)、続いて東京高裁判決(03年12月11日)、第2陣訴訟の東京地裁判決(04年3月19日)のいづれも、就業規則改定の効力を否定した。 05年4月20日には、日本航空は第1陣訴訟の上告受理申立、第2陣の控訴を取り下げ、提訴以来11年の歳月を経て、パイロットの勝訴が確定した。 その後、安全運航のために労使合意による新たな勤務基準の協議・策定を求め、それが策定されるまでの間、改定前の勤務基準で運航するという暫定協定の締結を求めるパイロットの労働組合の要求を受け入れた。しかし、日本航空はいまなお本協定の締結を拒否している。安全運航を支える労使関係の確立を否定し続けるその姿勢は、「絶対安全」を使命とする航空会社として、およそ許されない。一日も早い解決が望まれる。 |