民事調停委員のおしごと。 
                        弁護士 清見 栄  
 平成13年から東京地方裁判所の民事調停委員の仕事をするようになりました。調停というと、家庭裁判所での家事調停を思い浮かべる人が多いようですが、調停の制度は家裁だけでなく、簡裁、地裁にもあります。家裁は離婚、相続などの紛争、簡裁での調停は地代家賃、貸金、その他家裁の管轄を除いて、どんな紛争でも扱っています。地方裁判所の調停は、地裁の訴訟になった事件のうち、主として建築紛争、医療事故、コンピューター関連の紛争など、専門知識を要する紛争を適切に解決するため、専門的知識を有する建築士や鑑定士、医師等を調停委員として訴訟に関与させるための制度です。訴訟からの移行は、専門的な言い方をすると「付調停」といいます。どういうわけか、高裁から回ってくるものまであります。私は弁護士ですので、付調停になった事件について、法律的観点から建築士さんなどの専門家と組んで手続を進める役割です。  原告と被告双方の言い分を聞いて整理したり判断する役割ですので、裁判官のような立場もあります。それまでは事件の当事者(原告や被告)の代理人としての立場から見ていたものを、中立的な立場から見るのですから、最初は勝手が違いとまどうこともありました。しかし仕事をしていますと、建築などの専門家が、どのような観点から事実を見ているのか、解決に当たってどのような点を押さえるのかということや、裁判官の事件の見方なども少しづつ見えてきます。また立場を変えてものを見るというのはとても勉強になるもので、当事者の代理人として訴訟活動をする弁護士の仕事も客観的に見ることができます。優れた立証活動をする弁護士、そうでない人、様々の仕事スタイルを見、自分の仕事も再点検しながら委員の仕事をしています。
つれづれに
                        弁護士 坂井 興一
 (厄年を過ごして)旧年、小生は00歳の年男。少しは出番も!と意気込んで暦を見たら、俗に言う本厄。好事に魔多く、吉凶は相接し、禍福糾える縄の如きことかと、幾分は気を締めて1年を過ごしたのでした。案の定というか、世の中の方も符節を合わせたように、泥沼のイラク戦・原発事故・酷暑の夏・秋の長雨・噴火に台風に地震と、世紀が変わってこの方、ロクなことがない。世の中どうなってるのと云った按配です。取り分け、地震は大変です。関東大震災から60〜70年くらい経った時、そして神戸の時も、このままじゃと思っていた筈なのに、耐震備えはそっち除けの高層ビルラッシュ。おまけに憲法9条を葬むらんばかりの軍事傾斜に、人遣い・カネ遣いの荒いブッシュ(さん)への際限のない協力と支出。何だか方向感覚が狂っちまって、ネズミやバッタの大群と同じよう。アタシゃ知らないよ、もういつ終わりでもいい歳なんだからと、いささか責任切ったような弁解をしています。そんなバチが当たったのか、風邪を引く度にコジラセたり、台風の直撃を受けたりのジミな1年でした。(まだしも)自分一身がその程度で済んでいるのは、何度も死に損なって、幾らかは用心深くなったからでしょう。この世の中、油断して、タカをくくっているとひどい目に遭います。何もなくとも、イヤイヤそれ故にケコロビます。反対にホッとするところでも用心していれば、この世の世渡りもいと易いもの。 、、、と云っても、あと20年無事に過ごして終わってみなければ分からないと、いつの間にか、欲深いことを言ってしまいました。こんな心境になったのも、久し振りに「徒然草」を読んでのこと。これを何故か希望に満ち溢れた高校1年の頃教わるのですが、覚えているのは「いでやこの世に生まれては、」の調子のいい辺りです。実際は然し、人の態度としてあらま欲しきは、概ね、静・隠・謙・抑・無・簡・閑・寂と云った、つまりは私のような熟年向きの地味な作法が色々書いてあるのです。願うらくには、要路の方々にもハッタリのパフォーマンスは程々にして、ジミに、思慮深く振る舞って欲しいものです。

なんぶ2002冬号