「老人力」
                         弁護士 坂井  興一

 (この春)無事一巡し、そしたら何となく気になって、画家で作家のA瀬川G平氏の「老人力」本を読んでみた。彼のモノは独特のトボケ味があって面白いのだが、曰く、皆さん誤解してマス。コレハ、元気出セ、出ルというのではナイ。イヤなことはすぐ忘テシマイ、クヨクヨ出来ナイ。無理セズ頑張レナイ(ガ、ソレデヨイ)、と云った按配である。何だ、こんな流儀ならもうやっている。法廷でもワレながら随分な事を言っているが、すぐ謝レテ、わだかまレナイ。ワンちゃんと一緒でいつでもウトウト出来るから、不眠の悩みがない。大事を前に緊張しても一瞬だ。肩に力が入らず、いつでも平常心に戻れる。青壮年諸君と違って、胃潰瘍・ノイローゼ、悶々トラブルとも縁がナイ。ナント、これは達人・名人の境地ではないか。こっちの冷や水事でも平気の平左。いつも健康に留意し、早寝早起き・粗食を旨とし、よく歩き、要するにヤワな若いモンに負けるわけないでしょ!(なのに)世間はワレらが世代を天然自然ボケ扱いするとは何たる不条理! …とボヤク人達のことを然し、そのかみの日、ワレはどう思っていたか。理解不能のアッチの人、図々しくて鈍感、時代・知識・技術の教え甲斐のない人等であったろうか。この両者の違い、その実は、回復能力のない熟年は、今となってはどうでもよいお荷物は背負わない。他方で、夢中で生きている現役諸君は、過ぎてしまえば一緒クタに過去のことに深入りしているだけ。げに人の喜怒哀楽は今生の時のなかに、ではあろうと思うのだが…

中国「残留孤児」をテーマに
第2回「Oota憲法School」を開催しました!
事務局 木村 秀幸
 6月8日、中国「残留孤児」国賠訴訟の原告で大田区在住の佐藤ミヨ子さんと、原告弁護団で当事務所の長尾詩子弁護士を講師に学習会を開きました。
 佐藤さんは、終戦時13歳。収容所で両親が亡くなってから、学校に通えず、1人で馬の世話や農業、家事をして生きてきたとのことでした。3度も自殺を考えたという佐藤さんの言葉は、当時、彼女の置かれていた状況の深刻さを物語るものでした。そのような苦労の末、夢にまでみた故郷の日本に帰国した佐藤さんでしたが、帰国後の生活も決して「幸せ」とはいえませんでした。例えば、現在、帰国後の就労期間が短いため、一月当たり2万円の年金と、生活保護と併せても一月約8万円で暮らしているとのことです。また、日本語が不自由なため、ゴミ出しの日がわからない、近所の人と気軽に話すことができない等と生活の不便を常に感じているとのことでした。そして、最後に、政府に対して心からの謝罪を求めたいと思っていると裁判にかける思いを語りました。
 大田区では現在33人の原告が立ち上がり国賠訴訟を提起しています。また7月22日に、この闘いを支援すべく、中国「残留孤児」裁判を支える大田の会が結成されました。是非、「孤児」達が普通の日本人として人間らしく生きていけるように、皆様のご支援、ご協力をよろしくお願い致します。

体験を語る原告の佐藤ミヨ子さんと長尾弁護士
「いつも元気!」
事務局 吉川輝子
 5月に大田区民となりました。新居は事務所から徒歩で40分位の所ですので、気が向くと蒲田まで歩くこともあります。歩いてみると意外な発見があって楽しいものです。
 池上付近はお寺も多く、少し寄り道して静かな風情を楽しんだり、しゃれた店を見つけたり、思いがけない所に赤く色づいた木苺の実を見つけ一粒失礼したり、といった具合です。
 思いがけない所といえば、国会議事堂の正門前に前庭の公園があるのをご存知でしょうか?有事関連法が成立した6月14日、重い気持でその公園の木立の中を桜田門へ抜けたおり、ふと気がつくと、街路樹の根元の芝生の中に沢山のねじ花が咲いているのを見つけました。本来原野の湿地に生えるねじ花がこんな所で、車の排気ガスにもめげず、ツンとのびた花茎にピンクの小さな花をらせん状につけて咲いているのです。「元気だして!」と肩をたたかれたような心地でした。そう、いつも元気が私の 唯一のとりえです。さあ呪文をかけてがんばらなくっちゃ!「元気、元気、元気」

なんぶ2001年夏号