大田ところどころ  癒しをもとめて・・・   〜洗足池〜

 近ごろは世の中がどんどんせわしなくなっていっています。人々は“癒し”をもとめます。特に、寒さが厳しい季節になると、背中を丸めうつむいて歩くようになって、何だか心にも縮こまってしまうような気がします。だから私はあたたかい季節の方が好きです。 そんなことをいっても、冬はやって来ます。秋・冬のいいところ、、、今回はそれを見つけにいこうと思います。“癒し”をもとめて。
 “癒し”といえば、やっぱり緑。水。 大田区洗足池にはそんな自然がたくさんありそうです。緑、水、をもとめて、忙しい世から離れたほんのひとときをすごしましょう。

都会のオアシス
 洗足池は、都内でも有数の水面の広さを誇り、昔は「千束の大地」と呼ばれ、農家にとっては大切なかんがい用水でした。美しい緑に囲まれ、それは江戸の景勝地として広重の浮世絵『名所江戸百景』にも描かれるほどでした。
 今も季節によってさまざまな顔を見せてくれます。春は桜、11月、この時期は紅葉。東急池上線洗足池駅を降り、目の前の中原街道を渡ると、そこにはまるで都会の中とは思えないような大きな水面が広がります。すぐ横が道路なのにとっても静か。といっても日中は、しんみりした静けさではなく、人もそこそこ訪れるようなほのぼのゆったりとした静けさでした。
ロマンいっぱいの歴史の池
 赤・黄・緑いっぱいの木々に囲まれたの池のほとりを時計回りに進んでいくと、水辺にカモやゆりかもめがたくさんいました。ゆりかもめが池の中の杭一本一本にとまっている姿が、まるで前へならえをしているみたいでとってもかわいかった!実際はちょっと凶暴みたいだけど…
 少し行くと、橋が見えます。「池月橋」といって平家物語にも記される戦いの名場面「宇治川先陣争い」の名馬「池月」に源頼朝が出会った地です。その馬は薄青色に白い斑点があり、まるで池に映る月のようだったことから池月と命名されました。頼朝はそれを佐々木高綱に与え、高綱は池月に乗って、宇治川の合戦で一番乗りを果たしたのです。このロマンを後世に伝えるために、橋は造られました。すぐ近くの八幡神社は、そのとき頼朝が宿営した神社で、池月の絵馬や立派な像もありました。ホンモノはどんなのだったのかなぁ。
 池を半周ぐらいしたところには、幕末西郷隆盛と会談し江戸城の無血開城に力を尽くした勝海舟夫妻のお墓がありました。彼はここをいたく気に入って、晩年には池のほとりに洗足軒という別荘を構えて静かに暮らしたということです。またその隣には、海舟が西南の役で自決した隆盛をいたみ建立した西郷隆盛留魂碑、そして二人の親交をしのんだ徳富蘇峰の詩碑があります。あの勝海舟のお墓がこんなに身近なところにあったとは。
 最後は妙福寺御松庵。日蓮上人が袈裟をかけたという松の場所です。伝説によると、日蓮が弘安五年(1282)見延山を出て池上宗仲邸に至る途中、この池にさしかかり、湖畔の老松に袈裟をかけて休み、池の水で足を洗った。このことから、松を袈裟掛けの松、千束池を“洗足”池と呼ぶようになったのです。

 途中、色々な人達に出会いました。お年寄りから子連れのお母さんたち、赤ちゃんまで、また写真を撮っている人、絵を描く人など、寒い日でしたがのんびりと心温まる光景でした。それから池の中に、ナント人面魚(どっちかというと猫顔?)を発見しました!スクープ!
心も洗おう!伝説の池で
 洗足池は、癒し・歴史・伝説を兼ね備えたとてもすてきなところでした。都会にいること・時間をも忘れさせてくれます。せわしない世のすさんだ空気・かわいた心にうるおいを与えてくれました。それは、“足”だけでなく“心”も洗ってくれるのでは?
 疲れているなぁ、イライラしているなぁという方、是非立ち寄ってみてください。意外と身近なところに、ホッと心安まるオアシスがありました。
                                                                事務局 西 英子
なんぶ2002冬号