17年目の素顔
          
草 加 事 件 差 し 戻 し 審 で 「無罪」  判 決
                                                               弁護士  安 原 幸 彦

草加事件とは
 今から17年前の1985年7月、埼玉県草加市郊外の残土置き場で、女子中学生(当時15歳)の無惨な他殺死体が発見されました。そして、13歳から15歳の少年6人が逮捕され、少年審判では「有罪」とされました。
 しかし、被害者の遺族が少年たちの親を訴えた民事訴訟では、一審の浦和地裁が「無罪」、二審の東京高裁が「有罪」と別れ、最高裁が二審の「有罪」判決を破棄して東京高裁へ差し戻していました。そして、最高裁判決から2年9ヶ月ぶりに、東京高裁が「無罪」の判決を言い渡したのです。

草加事件は物証の豊富な事件
 よく、無罪が争われた事件では「自白以外に有力な証拠がなく、自白の信用性が最大の争点」などと言われます。しかし、草加事件は実に物証の豊富な事件です。例えば、被害者のスカートには犯人のものと思われる精液が付着していました。乳房には犯人のものと思われる唾液が付着していました。シャツには毛髪も付着していました。これらはすべて血液型AB型だったのです。少年たち6人はB型とO型でした。物証から見ると少年たちの「無罪」は明らかだったのです。
 にもかかわらず、少年審判や差し戻し前の東京高裁は少年たちを「有罪」としました。少年たちの自白があったからです。今回の裁判で、その自白は捜査官によって作られた虚偽の自白であることが明確に判断されました。
 17年間無実を訴えてきた少年たち。無罪判決を受けての記者会見。

初めて実名公表
 17年間無実を訴えてきた少年たちでしたが、報道はいつも匿名でした。殺人の汚名はそれほど厳しいものだったのです。今回の判決に当たり、彼らのうち3人が実名を明らかにして記者会見しました。しかし30才を越えた彼らに笑顔はありませんでした。

被害者の遺族も冤罪の被害者
 少年たちやその家族は、警察・検察や裁判所が作り出した冤罪の被害者です。同時に、真相を闇に葬られた被害者の遺族も、冤罪の被害者です。どちらの意味でも、冤罪が作り出す人権侵害は計り知れないものがあります。
 冤罪を作り出す要因は、警察・検察・裁判所の自白偏重だけでなく、自白即本人と決めつけるマスコミ報道や非行に走った少年たちに対する社会的な偏見などもあります。少年たちや家族の願いは、草加事件を教訓に、社会から少しでも冤罪をなくして欲しいということにあります。
なんぶ2002冬号