大田ところどころ
歴史の宝庫 〜池上本門寺〜

 さて、今回は池上本門寺について書かせて頂こうと思う。いかにも、歴史の詰まっていそうな場所である。ここは日蓮宗の大本山、山号を長栄山、院号を大国院といい、古くから池上本門寺として知られている。
 日蓮の入滅後、直弟日朗によって開かれ、中世には関東の有力武士から、徳川将軍家や諸大名の尊崇を集めたという関東一の巨刹だ。

では、早速行ってみよう!
 東急池上駅を降り、本門寺門前町の商店街を抜けて、参道へ。参道にかかる霊山橋を渡ると、どっしりと構えたケヤキ造りの総門が見える。見た目にもとても古そうであるが、これは今から約300年前に建立されたもの。門をくぐり、正面に石段、山上に本門寺が見えてくる。石段は96段。段数は「法華経」宝塔品の偈文96文字にちなんでいる。

 石段を登ると辺り一面に紅葉が広がる。今日は天気もいい。まさに日光浴&紅葉狩りといったところ。お母さんとお散歩に、観光に、ひなたぼっこに…年齢・国籍を問わず様々な足音が聞こえる。
 お次は山門の仁王像。まだ真新しい真っ赤な二体の像は今後、本門寺をしっかり守ってくれそう。ふと、右の方に目をやると…今度はゴツイお坊さんの姿。その正体は日蓮。この寺の創建に屋敷を寄進した池上宗仲は、信念と情熱に満ちあふれたその力強い姿に魅せられたのだろう。 さて、仁王門をくぐり右手奥に進んで行くと、なんとも見事な五重塔が!関東最大・最古、国の重要文化財だ。戦災で大部分の堂宇を失った本門寺で残ったものの一つで、現在修繕中である。

ここでチョット

 池上本門寺にまつわる歴史を振り返ってみよう。
 まずは前述の石段。これは加藤清正が慶長年間(1596〜1615)に寄進したものだ。そして、中世からこの地にゆかりのある徳川家は家康。彼は寺領百万石を与えている。また二代将軍秀忠の乳母が、秀忠の病気平癒御礼として建立したものが五重塔。
 広大な墓域には歴代の著名人が眠っている。紀州徳川家、お万の方(徳川家康側室)、寿福院(前田利家側室)、正応院(加藤清正正室)らの、将軍・大名夫人。さらには、狩野探幽、市川左団次、市川雷蔵、松本幸四郎、幸田露伴、溝口健一、力道山etc…

知られざる歴史の舞台
 また、ナントここは幕末クライマックスの裏舞台にもなっていた!この辺の時代背景は実に面白い。かの有名な西郷隆盛、勝海舟は度々この池上本門寺に足を運び会見していたという。会見場所は本門寺裏庭の松濤園(非公開)。そこには『西郷 勝 両雄会見之処』と刻まれた石碑が建立されている。時は大政奉還後、なおも討幕を目指す薩長連合軍がついに「討幕」の密勅を手に入れ、ついに新政府軍vs幕府軍の戦い「戊辰戦争」が勃発。その中で、幕府の最高責任者勝と、新政府東征軍西郷は、東征軍本陣のあるこの池上本門寺にて江戸城の明け渡しについて話し合っていたのだ!ここでもまたひとつ、歴史を揺るがす大舞台が繰りひろげられていた。

時は替わり
 現在、日蓮立教開宗750年を迎え慶讃事業として大堂が改修された。大堂は足を踏み入れるや否や、立派な和風シャンデリア(?)のような金色の人天蓋が目に飛び込んでくる。ここにて、少々のお賽銭を入れ世界の平和をじっと祈る…。そして、新たな霊宝殿が建設中である。今度は毎年10月13日を中心に行われているというお会式(日蓮の命日に開催される報恩感謝の法会)の頃に是非行ってみたいものである。全国から集まった萬灯の行列は圧巻!だそう。
 そんな池上本門寺は750年間の歴史を残しつつ、これからも更なる風格を添え、池上の歴史を語るだろう。まだまだここでは紹介できない程の魅力と歴史満載の寺である。皆さんも是非立ち寄ってみては!
池上本門寺 大堂

なんぶ2002冬号