私 の 南 部 修 習 | |
「東京南部法律事務所??えっ、蒲田?蒲田か・・・」。弁護修習先が蒲田の東京南部法律事務所に決まった時、私は正直、がっかりしました。法律家のたまごである司法修習生にとって、3ヶ月間お世話になる弁護修習先がどのような場所のどのような事務所であるのかは一大事。それが、普通は華麗な銀座の事務所なのに、私は場末の町(?)、蒲田の事務所なんて・・・。ところが、今では、弁護修習が南部事務所であることに大満足なのですから、本当に勝手なものです。 まず翻意の第一は、私の指導担当である佐藤先生をはじめとする先生方が、それぞれ熱いハートを持ち、個性たっぷり、自由闊達(言いたい放題やりたい放題ともいう)で、刺激的であること。第二は事務局の方々も負けずおとらず議論好きでアクティブで、事務所全体に活気が漲っていること。そして何よりも、南部事務所が大田の地に根付いた蒲田の地域事務所であること。 祖父の代から大田の地に住む生粋の大田っ子である私にとって、事務所に出入りする方々の多くが大田の人間であることは、その思い入れも違います。そして、このような事務所が我が町大田にあることを知って心強く思いました。 私は来年の10月には(試験に受かれば)弁護士になります。そのときには、手がける分野は違っていても、修習中に学んだ南部スピリット(?)をほのかにただよわす弁護士になれたらと思うのです。 55期司法修習生 鈴 木 郁 子 |
あ な た は ド ッ チ 派 ? |
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何となく、/今年はよい事あるごとし。 元日の朝、晴れて風無し。 新年にはいつも啄木のこの歌を思う。石川家に訪れた束の間の平安の、明治四四年正月連作の中の代表歌である。彼は旧制盛岡中学中退であるから、その新制高校出身の私は一応彼の後輩になる。文芸畑の先輩には野村胡堂や山口青邨などもいるが、詩歌の世界で双璧をなすのは宮沢賢治であろう。この二人、啄木は私のふるさと陸前の高田松原にも遊びに来ていて、その折の「命なき砂のかなしさよ…」の歌碑がある。また、賢治は近くの陸中松川の砕石工場での苦闘や、種山ヶ原・鹿踊りで子供の頃から馴染んでいて、どちらかに軍配を上げる訳にも行かない。…のだが、何となく分かり何となく馴染んだ気分になるのは、今でも啄木の方である。 都に行きたい、広い世界を見たいとの気分と、その反動での望郷感傷世界に惹かれてしまうもののようだ。反対に、郷里にあって奔放に想像力の飛翔する賢治を鑑賞する力が自分にないことを認めるしかない。分かるのは、「雨ニモ負ケズ」を除けば、妹トシの死に慟哭する「永訣の朝」くらいのものである。然して、彼の特長である音楽性・絵画性の高い歌・童話・詩の殆どを理解したり、浸れた気分になれたことがない。これではいかんと、森繁久彌や長岡輝子の朗読を聞き、羅須地人協会、そしてあの「下ノ畑ニ居リマス」の彼の旧跡に寄り、また岩手各地からの二〇数連も続く鹿踊りを秋祭りの花巻で見たりもしたのだが、浮かんでくるのは望郷の感傷ばかり。 |
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以前同僚だった澤藤弁護士は盛岡で活躍されたことがあるのだが、彼はハッキリとした賢治派で、朗唱だけでは足りず、鹿踊りの身振りまで出てしまう。趣味もベタベタしたところがなくて透明性の高い、マ、取りようによってはどこか子供っぽい遊びが好きである。 啄木と賢治の二人の歌人、作家で言えばベトベトの私小説系とクリスタルな物語系くらい違っているようで、私が物語系に馴染めないでいるのもそのせいであろう。 坂 井 興 一 |
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賢治も通っていた旧制盛岡中学の寄宿舎、自彊寮(じきょうりょう)。筆者は最後の寮長をつとめた。 |
新人弁護士紹介 弁 護 士 長 尾 詩 子 | |
はじめまして、長尾詩子といいます。 昨年10月に東京南部法律事務所に入所しました。 まず、簡単に略歴を説明しますと、茨城県竜ヶ崎市で育ち、土浦一高、中大法学部を卒業後、司法試験の勉強を始め、今に至ります。 初めて私に会う方は典型的な日本人顔のためか、几帳面で、穏やかで、優しい人だという第一印象を持ってくださるようですが、ちょっと違うぞというのが本人の弁です。意外と喜怒哀楽が激しく、おっちょこちょいなところが多いと自己分析しています。 入所のきっかけは、事務所の先輩方が勝ち取った日本航空の勤務基準不利益変更事件の判決と『沈まぬ太陽』に感動した勢いで事務所訪問したことでした。 初心を忘れることなく、これから始まる弁護士人生の長距離走を走っていこうと思います。 まだ新人でなんの経験もありませんが、新人であることに甘えずに仕事をして、さらに新人の強みである「話しかけやすさ」を最大限に生かしてがんばります。 どうぞよろしくお願いします。 |