ハンセン病訴訟 勝訴 そして控訴断念へ

 全 面 勝 訴
 五月一一日、ハンセン病元患者たちが国を相手取って起こした「ハンセン病違憲国家賠償訴訟」の判決が熊本地方裁判所で言い渡されました。原告側全面勝訴判決でした。
 この裁判は、「らい予防法」に基づいて、全国一三の療養所に強制隔離されたハンセン病元患者(ハンセン病の患者は現在では治っています)が、@らい予防法は憲法違反である、A政府が強制隔離政策を実行したことや国会が「らい予防法」を立法したことは違法である、と主張して、熊本・東京・岡山の裁判所に、損害賠償を求めて起こした訴訟です。五月一一日の判決は、このうち、最も早く起こした熊本地裁第一陣訴訟の判決でした。
 裁判で国側は、@隔離の必要はあったので、らい予防法は違憲とは言えない、A政府の政策や国会の立法の責任は問えない、B「二十年たつといかなる請求もできない」という民法の除斥期間の規定によって請求は認められない、などと主張していましたが、裁判所はこれらの主張を全て退け、国の責任を明確に認めました。


 判決後、療養所で何が起こったか
 当然ながら、判決は、元患者らに喜びをもって迎えられました。これまで、人間として扱われてこなかった元患者にとって、全面勝訴判決は人間回復・人権回復の宝物のようなものだったのです。
 判決の持っていた「人間解放力」は我々の想像をはるかに超えるものでした。   
 まず、判決後原告が爆発的に増えました。これまでは、国側の様々な妨害もあって、原告数は、療養所入所者四五〇〇人のうち七〇〇人あまりでした。それが一気に一七〇〇人と一〇〇〇人も増えたのです。
 さらに、これまで偽名を名乗っていた人が本名を名乗ったり、絶縁していた家族から連絡が来たりという嬉しいニュースも続きました。


5月21日、首相官邸前で控訴断念を迫る原告団
(写真提供 日本経済新聞社)

 判決を守ろう・・控訴断念の取り組み
 誰もが、控訴は必至だろうと思っていました。新聞もそう書き立てました。しかし、判決の内容が知られるにつれ、原告の中から「何とかこの判決を守りたい。そのためには何でもやる」という強い要求と決意が生まれました。そこから私たち弁護団の「控訴断念の実務」が始まりました。
 その戦略は「官僚主導を排し、政治主導で控訴断念に導く」というものです。そのために超党派の国会議員の集まりを作り、そこを中心に政府、特に官邸への働きかけをしました。そしてヤマ場の五月二一日には全国の原告が決起し、官邸前に集結しました。間違いなくこれが決め手になりました。この日を境に官邸が控訴断念を模索し始め、二三日の控訴断念に至ったのです。

 これからの課題 
 政府に控訴を断念させたことによって、ハンセン病問題は全面解決へ大きな歩みを始めました。しかし、ハンセン病元患者の真の人権回復のためには課題が山積しています。謝罪広告や社会復帰支援などの取組みがこれから始まります。
                                                  弁 護 士  安  原  幸  彦

なんぶ2001年夏号