大田ところどころ<番外編>    伝統工芸の町で出逢った 金沢和傘

中心部は和紙を4重張りにし、さらに周辺部に糸を2〜3重に張り補強している。
♪あ〜め あ〜め ふ〜れ ふ〜れ 母さんが〜蛇の目でお迎え うれしいな〜♪
 ―そういえば、子供の頃には意味もわからず歌っていたこの「蛇の目」が 、傘の一種であると知ったのはいつだったろう・・・

 加賀百万石の城下町として栄えた石川県金沢市は、歴代藩主の手厚い保護・奨励のもとで数多くの美術工芸や文化が花開いた伝統工芸の町といわれる。加賀友禅、九谷焼、金沢箔など、今に受け継がれている伝統工芸品が数多くあるが、その中の一つ、北陸でただ一人の職人が作るという「金沢和傘」を一目みたくて、金沢市内にある『松田和傘店』まで足を運んでみることにした。
 
 松田和傘店は、金沢の和傘伝統を一人で守り続ける松田弘さんのお店。つんとした独特のにおいがする店内、お世辞にも広いとはいえない仕事場で数々の道具に囲まれ松田さんは傘骨に刷毛で手すき和紙を糊づけしていた。
 金沢和傘は藩政時代から盛んに作られ、明治・大正時代の最盛期には金沢にも一一八軒の傘屋があったが、昭和三〇年以降、洋傘の普及で製造は激減してしまう。製作工程の一つ一つが専門職で、骨屋、紙染屋、張屋等々、昔は何人もの職人の手を経て作り上げた傘も、職人がいない現在は松田さんがこの何十もの工程をなんとたった一人で手がけている。

 金沢和傘の特徴は、他の和傘に比べて強く丈夫なこと。雨雪の多いこの地で育まれた伝統を受けて手入れがよければなんと半世紀も使えるそう。材料一つとってもこだわりがあり、傘骨の材料はかつて金沢周辺に群生していた太くて丈夫な孟宗竹を、和紙は太くて強靱な楮の繊維で漉かれた五箇山和紙を使い、のりは自分で炊いたものだという。

 ところで、「和傘」とひと言に言っても種類は多く、一般的な雨傘だけでなく、野外の茶会で使う野点傘や、舞踊に使う舞傘、日よけの日傘、料亭で使う番傘など用途は広いのだが、松田さんはこれら様々な種類の傘を扱っており、注文は全国各地からあるという。

 店内の傘をいくつか広げて頂いたのだが、初めて間近で見る和傘にただひたすら圧倒されてしまった。すごく艶やかで、品があって、でも力強くて、とにかく素敵で思わず見惚れてしまったのだ。
 和傘は、閉じている時は漆が塗ってある骨の部分しか見えないのでどの傘も同じ様に見えるのだが、それがひとたび広げると、地の色と柄と内側に張られた色とりどりの糸が一気に目に飛び込んでくる。
      
「和傘は贅沢なもん。無駄だらけ。」そう松田さんは言っていた。
「こんな儲からんもん、そのうちなくなる。それが世の中のならい。世の中変わったんや。」
 本当にそういうものなのだろうか…。訥々と語る松田さんと傘とを眺めそう思ったが、それ以上は言えなかった。
      
 最後に、傘を作っていて嬉しいことはとの問いに、和傘を買いに来るのは美人が多い(笑)、とおっしゃった松田さん。御年八二歳。傘を作って七〇年。何者も代わることのできないたった一人の職人だけが作り続ける傘。手に取ると、独特の油・漆のにおい、ずっしりとした重量感、鮮やかな色彩、そして作り手の心意気、人生まで、色々なものを感じることができる気がする。
 憂鬱になりがちな雨の日、お気に入りの和傘をさしてみる。遠い昔の人も聞いた和傘に落ちる雨音、それはいったいどんなオトがするのだろう…。
昔は傘を嫁入り道具の一つとしていたそうだ。
 松田さんは「また!」と言って送り出してくれた。松田さんの和傘を買えるような女性になった時こそ、またもう一度会いに来よう、そんなことを考えつつ店を後にした。 
(事務局 永井佐代子)


「傘は持つ人を美しく見せるための道具。どんな美人に持ってもらえるか、どうしたら女性が美しく見えるか、考えながら作っとる」

なんぶ2002冬号