東京大気汚染公害裁判
待ちに待った「解決勧告」
事務局  堀内 由美
山が動き始めた
 2006年9月28日、東京大気汚染公害裁判一次訴訟控訴審の結審日でした。
 午後3時過ぎ、傍聴席からあふれた100名を超える、青い襷を掛けた原告・患者・支援者が待機する中、弁護団が「解決勧告」の幕を持って飛び出してきました。拍手と歓声があがり、なかには目に涙を浮かべ、手を取り合い、お互いに喜び合う姿や、亡くなった仲間の遺影を抱え涙ぐむ原告も数多く見うけられました。私たちはこの東京高裁の「解決勧告」を待ちに待っていたのです。大田区在住の支援の方は「山が動き始めた。あの悔しい判決から4年、原告の皆さんのたたかいが全面解決の扉を押し広げた」と述べていますが、まさにその通りです。
裁判所前にて、「解決勧告」に歓声をあげる原告・弁護団・支援者
東京大気汚染裁判10年のたたかい
 東京の空気はディーゼル自動車の排気ガスによって汚染されています。その空気を吸ったことによって気管支ぜん息などの呼吸器の病気に侵された患者が、被害の救済を求めて、ディーゼル車を製造・販売した自動車メーカー7社と道路を管理すべき責任のある国・東京都などを相手に、1996年5月、東京地方裁判所へ提訴しました。そして、2002年10月29日、国・東京都・道路公団の責任は認めたものの、自動車メーカーについては「過失は認め難い」として法的責任を否定する判決が出されました。
 当事務所の堀弁護士は毎月、蒲田駅の街頭に立って訴えています。「東京地方裁判所へ提訴以来10年間、原告団・弁護団・支援者は、街頭でのビラ配布、署名集め、都庁前での訴え、トヨタ前での要請行動、座り込み、100万人署名や団体署名を東京から全国に足を運んで訴え、裁判所へ原告の手紙を携えての毎週の要請行動、法廷でのたたかい、本当にたくさんのことに取り組んできました。その成果がようやく高裁での「解決勧告」に結びつきました。」
 さらに、大田区在住の原告の方は訴えます。「私は北海道から上京後、公害喘息3級に認定されました。たび重なる重責発作に見舞われ、幹線道路を四つん這いではって渡り、失禁したことは何度もありました。ある時は息のできない苦しさで救急車を呼んでもらおうとしましたが、ぜん息では死なないと電話を切られてしまったことがありました。すでに633名の原告のうち107名が亡くなりました。今、生きている原告の一人も欠けることのないうちに全員が救済されるべく、交渉のテーブルにつきたいと思っています。亡くなった原告の声が聞こえます『私たちの分も頑張って・・・』と。」

「解決勧告」に涙を浮かべる原告
「東京高裁の解決勧告」
 東京高裁の解決勧告は次の通り述べています。
 本件は第一審提訴以来既に相当期間が経過し、訴訟の当事者の数も多く、なくなられた方も多い、裁判記録が10万頁にのぼることに示されているように、事案の内容がきわめて複雑であり、事実認定、因果関係、など争点が多岐に渡る。おそらく判決のみでは解決できない種々の問題を含んでいる。裁判所としては、できる限り早く、抜本的、最終的な解決を図りたい。判決書き作業と並行して、和解の可能性と条件、内容について関係者から直にご意見をお聞きしたい。解決ができるとすればそれに過ぎたるものはない。関係者が英知を集めて、この趣旨を理解してご協力していただきたい。
新たなたたかいのスタート
 弁護団・原告団は「全面解決要求 @責任を認め、謝罪することA賠償金(解決金)を支払うことB東京都における医療費救済制度を確立することC公害防止対策を実施することD継続的な協議機関を設置すること」を早期に実現すべく、東京高裁の場、直接交渉の場、そして国民世論に訴えて全力をあげてたたかっています。もし、街頭などで東京大気の青い旗を見かけたら声をかけてください。引き続き100万人署名にも取り組んでおります。皆様のさらなるご支援をよろしくお願いいたします。

なんぶ2002冬号