ヤミ金を追いつめた
           「最後の言葉」
                           弁護士 坂 井 興 一
 クレ・サラ被害
 当事務所はこれまで、サラ金禍とそのクレジット被害への拡大、商工ローン・システム金融被害と、高利貸しが先進国で類を見ない程バッコするこの国の被害者を励ますため、「大田クレジット・サラ金問題対策協議会(大田クレ・サラ対協)」を支えて活動してきた。そしてやっと昨年7月には、出資・貸金業法等改正の所謂「ヤミ金対策法」が成立し、無登録・高金利貸付の重罰化・彼等のダイレクトメール・チラシ広告・勧誘の罰則禁止、年利109・5%超契約の一切無効等が決められた。然し、匿名お手軽ケータイ貸付・超高金利・無登録・マル暴との結託・見境ない取立て等を特徴とする「ヤミ金」の猛威は、まだおさまっていない。それ故、昨夏のことではあるが、ヤミ金業者を追い詰めたSさん事件の教訓に触れてみたい。

 ヤミ金攻勢

 冷夏の後、異様に暑かった昨年8月下旬、大田区大森に事務所を置く「太陽の会」から、告訴案件の相談を受けた。「太陽の会」は、大田クレ・サラ対協が支える被害当事者の互助会である。告訴案件は、「太陽の会」が相談に乗り、励ましていた横浜市西区の元建築業の70歳になるSさんが、東京上野のヤミ金業者の取立てを苦に8月13日朝自殺に追い込まれたことに関するものであった。会としても初めての犠牲者であり、見過ごしできないとのことだった。然し私としては、東京城南を守備範囲とし、些かヤミ金攻勢を持て余していた時で、ためらいがなかったと言えば嘘になる。何しろ彼等の攻勢はメチャクチャだった。依頼外案件でも、債務者・保証人でなくても、ただ周辺にいるだけで、押し掛け、電話・電報・ファックスで怒鳴り立て・取り立て攻勢の業務妨害で、仕事にならない。居所不明・不定のゴマのハエ如き輩で、捕まえようもない。年1000%の超高金利でも、5〜10万クラス故、商工ローン・サラ金と較べればお手軽・少額なので、廻されて次を借りたり、或いは関係なくても誰かが払わされてしまう。私も事務所もそんな多発被害騒動に巻き込まれていた時期であった。

 山手署へ
 そんな訳ではあったが、意を決してSさんの未亡人、太陽の会の本多相談室長と3人で住所近くの横浜山手署に告訴に行ったのが8月25日。山手署にはTVクルーも来ていたが、死に至るまで様々な業者や因果関係が絡んでいたり、絶対被害が少額だった為もあってか、今ひとつおざなりの対応だった。然し、署内で私たちが初めて見たのが、自殺したSさん宅から警察が領置していたという遺書。Sさんの律儀な人柄を象徴するキッチリしたその一文には、「近所迷惑になっている、借りた自分が悪いのだけど、生きた心地がしない、」。そして、「裁判所とか弁護士に(対して)は、アルコ(業者)とは解決したと言え、それで、超高金利の返済約束をさせられ、」と、苦悩の経過が綴られている。Sさんは司法書士さんに依頼して自己破産の申立てをし、8月13日はその審問で横浜地裁に出頭することになっていた。当日裁判所に行けば、裁判官の前でヤミ金負債のことも、番外返済のことにもウソを言わなければならない。本当のことを言ったら、不正直申告・不公平返済故、免責コースから外れてしまう。取立て業者は、あと少しで救済される筈だった、律儀を絵に描いたようなSさんにウソの陳述を強要していたのである。

 最後の声が
こうしてSさんは追い詰められ、救済寸前の最後の足を引っ張られ、疲れ果ててしまった。生前には知られることも聞かれることもなかったSさんの最後の声が、横浜市関内の記者クラブで遺書として紹介されて、事態は一変した。東京のヤミ金業者攻勢から県民の生活を守るべき神奈川県の立場、全国に被害を輸出する東京の業者を監督・取締まるべき東京都の任務、そして、くだんの遺書を漫然と放置していた神奈川県警を督戦し、新聞・週刊誌・TVで追跡を継続し、アルコ関係者の逮捕・起訴に漕ぎ着けた。それを可能にしたのが、繰り返し紹介された、律儀そのもののSさんが遺した「最後の言葉」・「文章の力」だった。

なんぶ2002冬号