大田ところどころ 浮世絵の情景はいずこ ・・・〜大森「八景坂」〜


 その名の通り、坂上からの眺望がすばらしく、江戸時代、安藤広重の浮世絵にも残されたという八景坂は、今はタダのバス通り…といってはそれまでになってしまいます。この辺りをよく散策してみますと、色々なことが分かるかもしれません…

“はけいざか”“はっけざか”“ハケ”?
 名前の由来は、かつて大森の海辺より遠く房総まで一望でき、この風景を愛した人達により「笠島夜雨、鮫洲晴嵐、大森暮雪、羽田帰帆、六郷夕照、大井落雁、袖浦秋月、池上晩鐘」という八景が選ばれたことによります。尾崎士郎も小説『京浜国道』の中で「今日、八景坂という名前の残っているのは、大井と新井宿の境にある高台からの景観を近江八景に模して名付けたものである」と書いています。
すっかり姿を変えた今の八景坂(大森駅西口前池上通り)
また、昔は相当の急坂で、あたかも薬草を刻む薬研(やげん)の溝のようだったことから、”薬研坂”転じて“はけいざか”“はっけざか”となった説、また台地の外れの崖のことを“ハケ”と呼ぶことから由来した説もあります。このハケというのは非常に重要です。というのは、大森山王台地の外れに住んだ大森貝塚人はもとより、東海道を旅した人々にとっても、後世の住民にとっても、清水の湧き出してくれる磐井とか大井と名付けられた井戸は絶対的に重要で、それらは関東ローム層の台地の崖っぷち、つまりは“ハケ”でこそ得られたものであったからです。八景坂の由来するところはこうした古い古い歴史をも語っているのです。

“鎧掛の松”をたずねて
 さて、今でこそタダのバス通りじゃないかと思われるかもしれませんが(私もはじめ取材に行ったときガッカリしました…)、かつての景色のすばらしさは、まさに「絶景かな」という情景であったようで、それは広重の『絵本江戸土産』や『江戸百景』のシリーズの中の「八景坂鎧掛松」から往時を偲ぶことが出来ます。大きな松の木、その下の茶店で旅人がひと休みしており、眼下には海道と松並木が続いています。さらに海がすぐそばまで迫っています。 
 松の木は“鎧掛の松”の伝説を残しています。八景坂の途中、大森駅西口の目の前にある石段を登りますと天祖神社がありますが、源義家が奥州征伐におもむく途中この社で戦勝の祈願をしたといいます。そのとき境内にあった松の木の枝に鎧を掛けたと伝えられており、境内には「鎌倉の よより明るしのちの日 影山」という石碑も建てられています。石碑の裏にはさきほどの八景が刻まれています。松の木は、昭和初期まではその根株が残っていたそうですが、残念ながら今は枯れてしまっていて、小さな神社と公園だけになっています。

新しい発見をして…
 八景坂。その由来を知るまで私はきっと素通りしていたことでしょう。普段何気なく歩く道、場所も、意外と目や足をとめてみると色々なことが分かります。言葉や地名の由来や、昔の人が残してくれた作品、今残っているものからも、普段は見えないもの、思わぬ情景に出会すかもしれません。そうしたら、自分の住むところにももっと愛着がわいてくるでしょう。
そんな気持ちで、いつもの道を歩いてみたらいかがでしょう…
                                     (事務局 西 英子)
名所江戸百景「八景坂鎧掛松」広重画

なんぶ2001年夏号