「銀行がお客様に安心してお薦めする商品です。」
こう言われたら、誰しも安心してその商品を買ってみようとは思いませんか。昭和の終わりから平成にかけて日本を覆ったバブルの時期に、銀行によるこんな商法が横行していました。変額保険もその「商品」の一つです。
保険代理店の勧誘ではその気にならなかった田崎さんも、三菱銀行の銀行マンのこの一言で変額保険に加入することにしました。天下の三菱銀行が推奨する保険なら大丈夫だろうと考えたのです。当時の常識としては、銀行とはお堅いところで、その勧めるものに大きなリスクはないとされていました。銀行はその「信用」をフルに利用したのです。
変額保険とは
変額保険は、生命保険の一種です。しかし、保険料さえ納めれば、一定額の給付は保障されている普通の生命保険とは仕組みが全く違います。変額保険は保険料を株式・公社債等の有価証券に投資して運用し、その運用実績により保険金及び解約返戻金を変動させる仕組みになっており、運用如何によって加入者が大きな損をすることになります。
しかも、この当時行われていた変額保険は、融資一体型保険契約と言われ、一括して支払う保険料を銀行からの融資で調達するというものです。それが、将来の相続税対策になるというのです。田崎さんもご夫婦で、返済期限は五年、利息は年七・五%の約定で、保険料の一億円、五年間の返済利息六〇〇〇万円の合計一億六〇〇〇万円の借入をして、変額保険に加入しました。もちろん、銀行は田崎さんの自宅を担保に取りました。
自宅が売られる
五年後の一九九五(平成七)年、返済の期限が来ました。もちろん、一億円も返済できるはずはありません。借りた当初は、この期間は当然延長されるはずでした。ところが、バブル崩壊後の変額保険の運用実績は下がる一方で、しかも土地の価格が急激に下がったことから、三菱銀行は期間の延長に応じず、田崎さんに返済を迫りました。そして、担保を実行して自宅を競売にかけてきたのです。
たまりかねた田崎さんは、銀行や保険会社を相手に、変額保険で受けた損害の賠償を求めて裁判を起こしました。また、同じような被害に苦しむ人たちと手を結んで、被害の救済と銀行の責任を追及する運動を展開してきました。
裁判に勝った
変額保険の裁判は各地で難航しています。裁判所は、「うちは頼まれて融資をしただけ」という銀行の言い分を鵜呑みにし、被害者は儲け損ねただけと言わんばかりの判決を下してきました。その中で、ようやく田崎さんの裁判が高裁で勝訴しました。変額保険が危険なもので相続税対策としてふさわしくないこと、それを消費者に売り込むに当たり銀行が主導的な役割をしたことを認めたのです。この判決を契機に、変額保険の被害に苦しむ多くの人たちが救済されるような流れを作っていきたいものです。 |